日本にいるからこそ🎐

日本人も知らない日本を知る

仏教の本を読んで、放棄する

こないだ中国はシャングリラを旅していた時に、チベット仏教徒のガイドさんがこんな風に言っていた。「金も社会的な地位も手に入れたのに、幸せになれないと苦しんでいる人がよくいます。仏教を学ぶといいです」それに加えてチベット文化圏を旅する時に、自分の仏教の知識が薄くてガイドさんの話がよく理解できないことがあるので、久々に仏教に関する本を読むことにした。三年前にも違う仏教の本を読んだのだけれど。

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本を読み進めていると「苦しみが起こるのは、求めているものが手に入らないから」というようなことが書いてある。『そうなんだ。だったら、そもそも何も求めなければいいのでは?』とふと思う。そうすれば手に入らないもへったくれもなくなって、苦しまずに済むではないか。現に去年からあれやこれやと考えて、自分から求めて就いたいくつかの仕事はことごとくうまくいっていない。でもよく分からずにやることになった、カフェの臨時店主が楽しかったりする。

(地獄の苦しみ)

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さらに私が自分の人生の意義が何なのかを追い求めているのに対し、”人生に目的を見つけさせなさい”という逆の発想の記事を発見する。

cybozushiki.cybozu.co.jp

そもそも求めない・・・人生に目的を見つけさせる・・・そしてこう思った『もうしばらく人生に流されよう』。深く考えもしないし、目標も計画も立てない。偶然にやってきた機会と自分の勘だけで過ごす。というのも自分が「これだ!」と思って必死に掴みに行ったものでも、どうもあんまりうまくいかない。目標や計画など立てても、たいていその通りに進まない。それに色んな人が「人生はミステリー」だと言っている。ミステリーなものを必死に自分の思う通りにコントロールしようとして、私はなんだか疲れてしまった・・・。とにかく自分が面白そうだと思うことを片っ端からやって行って、最終的に残ったことをすることに決めた。なんか同じようなことを二年前くらいにも言っていたのは、気のせいか。

こうして私は人生設計のようなものを、しばし放棄することにした。