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9/21(土)福島被災地スタディツアーへの参加 ~語り部さんのお話し②「一生あのおばあちゃんの目を忘れてはならない」~

午後からは薄磯地区へ行き、もう一人の語り部さんのお話しを聞く。私は特にこの語り部さんの話が印象に残った。一人目の語り部さんもそうだったけれど、この方も70歳は超えていると思われる。語り部さんが我々のバスに乗り込んだ後、話に関連する場所をいくつか周り、最後は実際に津波が来た海を前に当時の体験をお話しくださった。「今はもうありませんが、私の家はあそこの階段を登ったところにありました。14:46。震災当時私は家の外にいて、感覚的には3分~5分くらい揺れていたと思います。家が潰れると思いました。揺れが収まった後、私は屋根から落ちたレンガなど家の周りの片づけをしていました。テレビが映らないので車のラジオを聞いてみると、”3mを越える津波がくるから、高台に逃げるように”と言っている。しかもそのアナウンスされる波の高さが徐々に高くなっていくんです。3,6,10m・・・。15:10に時計を見た時に津波は来ていませんでしたので、津波は来ないと思って海まで見に行ったんです。」

(震災前は家が密集していたという場所も、今はほとんど更地)

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「すると波は地平線に向かっていって、私は海の底を見たんです。海は真っ黒でした。その瞬間、これはとんでもないものが来ると思い、慌てて家に走って戻りました。みんなに逃げろー!!と言いながら。」この方は海の底を見てからの音の記憶が全くないのだという。さらに自宅から海へは200mほどと近く、海を見ていた時は恐らく15:13と思われる。しかし家まで走り戻って時計を見た時は15:27。戻るのにそんなに時間がかかるはずはないのに、その間の記憶もないのだそう。津波の高さは9mだったそうだ。

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山の上に逃げる時、近くに70歳の女性と91歳のおばあちゃんがいました。91歳のおばあちゃんは足が悪くて歩けないので、おぶって逃げようとしました。でもおばあちゃんは背中からずり落ちてしまった。もう一度おぶりなおそうとしたけれど、私はそうせず一人で逃げました。」この時の語り部さんのまっすぐな瞳が忘れられない。私はこの方がその後どれだけそのことで苦しんできたか、またこうしてその体験を人に話す勇気を思うと、目頭が熱くなった。70歳の女性は自力で逃げて助かり、91歳のおばあちゃんは三日後にこの語り部さんが遺体で発見した。「この話が人にできるようになったのは、震災から一年半後でした。人に話しているうちに、肩の荷がすーっと軽くなっていきました。私は小・中学校で話をする時にこう言います。悩みを自分一人で抱え込まずに、誰か一人にでも話しろって。今日も私はこうして皆さんにお話ししましたから、また肩の荷が軽くなりました。」この語り部さんは今も、置いて行ったおばあちゃんの目の色まではっきりと覚えているという。そして一生忘れてはならないと思っているとも言った。

最後にこの語り部さんがおっしゃられたのはこんなことだった。「災害というのは想定外の物が来ます。だから時々私の話を思い出して、その場所でその時間に大地震が来たら、どこをどうやって逃げるかを自分の頭で考えてみてください。」というのも、3.11の大地震の時は指定されている避難場所である小学校へ行くと、津波で助からなかったという。小学校ではなくもっと高い山に避難したからこそ、助かったのだという。

(震災後に作られた避難広場。ここに設置されているソーラーには、携帯電話などの充電用のコンセントもついているのだとか)

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今日一日を終えて、色んなことを思った。思い出すのもつらい出来事を人にこうして語ることの勇気・・・。色んな人がこういったお話を聞くことで、危機意識を持つことができればいいな・・・。私もまた大きな地震はいつでも起こり得るものだという認識を持って、日々を過ごさなければ・・・。なにより、自分がこうして普通に暮らしていけることへのありがたさを身に染みて感じた。それと同時に、先々のことは本当に分からないので、今を大切に生きなければならないなとも思った。