昨日買った本「断片的なものの社会学(岸正彦著)」を読んでいるのだけれど、”意味のなさが作り出す美しさ(と私は勝手に解釈する)”のようなことが書かれてあり、非常に興味深い。たとえば、道に転がっている何の変哲もない小石を拾い上げて、じっと眺める。その瞬間にどこにでもある小石が、”この小石”という個別なものと化す。しかしその個別化する小石(小石に関わらず)はたくさん存在し、個別化させることの無意味さを感じるといったもの。少々哲学的で、またそのような物の見方ができることの面白さ、文章の表現のちょっとした突飛さもユニークで気に入っている。
ここで私も無意味に、過去にあった意味のないストーリーを思い出してみる。
①てんこ盛り弁当
三年前に日本で暮らしていた時、近所にてんこ盛り弁当という弁当屋さんがあった。名前の通り本当にご飯がてんこ盛りだった。私はそこのヘビーユーザーで、宅配の電話をする時に名前や住所などをイチイチ言わなくてもいい特別な番号すら与えられていた。ちなみに他の顧客もこの番号を付与されていたのかどうかは知らない。
私は定期的に決まってカキフライ弁当を注文し続けた。他にもチキン南蛮弁当、唐揚げ弁当、豚カツ弁当などもあったにも関わらず。そして「ご注文をどうぞ」の最後の「ぞ」とかぶるくらいの勢いで「カキフライ弁当一つ」と言うのが常だった。
特にカキフライが食べたいという訳でもなかった。ただ一番始めに注文したのがカキフライ弁当というだけで。
②「オキャクサマ、一番端ノ席二座ッテクダサイ」
人気のタイ料理屋へ17時過ぎに一人で行き、8人くらいが座れるカウンターに座った。店内はカウンターにひと組のカップル客がいるだけだった。壁から二番目の席に座り左の席にカバンを置くと「オキャクサマ、一番端ノ席二座ッテクダサイ」とタイ人女性に言われて、しぶしぶ一番端の席に座った。シンハビールが運ばれてくる。パッタイが運ばれてくる。ビールを飲んで、パッタイを食べ終わるのに15分もかからなかったはず。店を出た時も、カウンターには一組のカップル客がいただけだった。
③ケンタッキーのファミリーパック
三年前の私には、段階的なストレス解消法があった。第一段階:スーパーの寿司を食べる。第二段階:ケンタッキーのファミリーパックを一気食いする。第三段階:スーパー銭湯へ行って、日系ブラジル人ミチコさんによる極上ヘッドスパを受ける。第四段階:海外へ逃避する。
ある日ストレスは第二段階に達し、ケンタッキーのファミリーパックを一気に食べた。(ちなみに5ピースくらい入っている)しかしまだ気が済まず、その後インスタントラーメンとコンビニのシュークリームも食べた。
ケンタッキーのファミリーパックを始めに食べる必要があったのだろうか?
私の無意味なストーリーには何の美しさも見い出せなかったが、世の中には意味のないことがあふれている。というか、何でもかんでも「この出来事には何の意味があるのだろうか」とか考えていたら疲れすぎる。実は色んな事に意味なんてそもそもないのかもしれない。そこにあるのは自分の解釈だけで。
あ、そういえばこうして文章をせっせと毎日書いていることも、何の意味もない(笑)