日本にいるからこそ🎐

日本人も知らない日本を知る

昔の自分に戻ろうとしないこと

来週から仕事に復帰するので週末に古巣の神戸に戻った。そしてもうここは自分の居場所ではないのだと思った。それはちょっと寂しくもあり、一方で『今自分がいる場所が自分の居場所なんだ。古いものに固執せずに、新しい土地で新しいものを楽しもう』と散々文句を言ってきた静岡での生活を、ようやく前向きに捉えることができた気がする。

シンガポールへ行くまでは約10年くらい神戸に住んでいたので、どこで何を買うかや、疲れた時に入るカフェ、お気に入りのオーガニックフードのレストランなど、ありとあらゆる行先リストが既に頭の中に入っている。今回も昔行っていたお気に入りの店に行ったのだけれど、何かが違う。確かここでおいしいケーキを食べたなと思って入った店は、なんだか前と雰囲気が違い、店が変わってしまっていることに気付く。店は同じでも店員さんが変わって接客のクオリティーが落ちていたり、お気に入りのカフェのベジタリアンプレートは出てきた時に、え?こんなんだったっけ?となってしまった。多分店自体も色々と変わっているだろうし、私自身も変わったり記憶が混同して、シンガポールに住んでいた時に一時帰国で訪れていた時とは違う気づきがたくさんあった。

(今回は台湾茶を飲みました)

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一番大きかったのは、私にはもうここで会う人がいないのだということだった。昔は一緒に働いていた元同期がまだ神戸にいたので彼女に会うためにここに来ていたが、彼女もその会社を辞めて神戸を離れてしまった。それにシンガポールへ行くまで働いていた会社に本帰国後も戻らなかったし、静岡という関西とは遠く離れた土地で暮らすことになったこともあり、ただ単に職場が同じという理由だけで繋がっていた関係の人とは繋がりが切れてしまった。目まぐるしく色んなことが変わって行く中で、残るのは本物の友情だけ・・・。

母が「諸行無常。変わらない物なんてないのよ!」とラインをしてきた。自分も含めてその通りだと思う。三年前に日本でしていた時の髪型に戻したはずなのに、同じにならなかった。もしくは今の自分には似合わなくなったか。結局シンガポールで保っていた長さに今また伸ばそうとしている。服装も昔着ていたような地味でコンサバなものが、あまり好きではなくなった。シンガポールで人目を気にせずに好んで着ていたような服をこれからも着たい。仕事もバリバリ働いていた頃に自分にもどりたい!と思っていたのに、昔会社勤めをしていた頃の自分とシンガポールで日本語教師をしていた自分を比較して、日本語教師をしている自分の方が好きだと思い、会社勤めには戻らなかった。プロフェッショナルな仕事はすれど、昔日本でしていたような自分の健康や週末を犠牲にした仕事一辺倒の生活をもう送る気はない。毎日花の水をきちんと変えたり、自炊をしたり、週末は写真を撮りに行ったり、友達と話したり、自分の生活をバランスよく楽しみたい。

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静岡に住むことが決まった時、私は自分には何のゆかりもない場所で、私を迎えてくれる人は誰もいないと思っていた。が、今は接骨院へ行けばいつものお兄さんが温かく迎えてくれ、行きつけの美容院やネイルサロンが見つかり(これは女子にとって非常に重要なのだ)、銭湯やアロマテラピーサロン、海辺の公園など疲れた時に自分を癒せる場所もできた。お気に入りのタイ料理屋とインド料理屋があり、まぁまぁのベトナム料理屋も見つけた。(次はネパール料理屋を見つけねば・・・)そして仕事が決まり、自分を必要としてくれている人がここにいるのだと思うと、やっと自分の居場所が見つかった気がした。

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さよなら、神戸と昔の自分。私はシンガポール生活でモットーとしてきた「シンガポールでしかできないことを、シンガポールにいるうちにする」と同じように、富士山の麓である静岡でしかできないことを、静岡にいるうちに楽しんでいきます。シンガポール生活が限られていたように、静岡での生活も限られた期間でしかないから。そんなこと言って、ものすごく長かったらどうしよう。まぁ、そうなったらその時また考えればいいか・・・。