日本にいるからこそ🎐

日本人も知らない日本を知る

日本の生活がつーっとしてくる

日本に帰って来た頃は、日本の何もかもが新鮮だった。何を食べても「あぁ、おいしい!!」と感動し、自然や伝統あるものを見てはホッとし、日本人の丁寧な接客に若干めんどくささを感じながらも、シンガポールのように公共のマナーの悪さにイライラしなくてもいいのはありがたかった。が、日本に降り立ってから1カ月10日経った今、そろそろ色んなものに慣れてきた。日本の何もかもが新鮮に見られるのはきっと三カ月くらいだろうと思っていたが、あながち間違っていなかった模様。

(スーパーでチキンライスの素を見つけた)

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人間は同じことを繰り返しているとこのようにすぐに飽きてしまい、色んなことの新鮮さを欠いていくものなのだ。そして視野が狭くなっていき、いつもやり慣れていることしかしなくなってくる。同じことの繰り返しで毎日つまらないと分かっていてもいつもと同じことしかしないのは、それをしている限り安全で楽だから。新しいことをするにはエネルギーも使うし、リスクを伴うこともある。『そんなことするなら、退屈でも楽な生活がいいや~』となり、生活が段々つーっとなっていく。あぁ、恐ろしい。

(作ってみたけど、色々と違う・・・米が第一違う。本物が恋しい)

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そこが日本であれ海外であれ、長く住んでいると慣れていってつーっとしてくるのだ。シンガポールに住んでいた時も、異国だからといって毎日刺激的な訳ではなかった。暇をつぶすように、外をほっつき歩いて写真を撮ることもたくさんあった。後から振り返れば、相対的には結構おもしろいシンガポール生活を送っていたように見えても、日々の生活は地味で同じことの繰り返しであり、結構暇を持て余していたように思う。

『どこにいても同じか』結局のところ、自分で自分の生活をおもしろくするしかない。そしてそういう能力は、これからの長い(と仮定して)人生で結構重要な気がする。シンガポールにいた頃『毎日の過ごし方に頭を使うような自由すぎる生活はもうごめんだ。日本に帰ったら社会に拘束されて、ある意味不自由な生活を送りたい』と思ったが、暇を埋める=充実するではないので、意味もなく拘束されて時間だけが奪われると『私は一体何のためにこんなことをやっているのか・・・』とまた悶々と考え出しそう。

我ながらめんどくさいやつ。日本でもまた、自分がおもしろいと思うことを見つけないといけないじゃないか。まぁ見つかればいいし、見つからなくてもいいや。淡々と生きるのもひとつの人生だし。