日本にいるからこそ🎐

日本人も知らない日本を知る

インド繋がり。森に佇む素敵なカフェに導かれる

車が納車されたので、約一時間走って森の中にあるチャイがおいしいカフェへ行く。

最後の難関としてすごく細い橋があり、看板には『この橋、普通の車通れます』と書いてあるが、普通の車とはどれを指すのか・・・。(我々は少し大きな車に乗っているのです)旦那が「ちょっと降りて先の道を見てきてよ」というので、私は歩いて橋を渡った。車を降りると少しひんやりし、緑の香りが気持ちいい。それにカッコーみたいな鳥の鳴き声がして、耳にもよい。マイナスイオンを感じる。

(橋からの眺め)

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確かにその辺で走っている大半の車は通れる。それに橋を渡りきると、結構思っていたよりも広い道に繋がっていた。旦那に遠くからオッケーサインを出し、私は歩いて先に進む。

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この辺にはいくつかお店があるらしい。

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そして突如おしゃれな建物の小屋が現れる。

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ベトナム料理、カレー、服屋さんが隣接しており、我々はここのチャイがおいしいというカフェ「aima(aima - ホーム | フェイスブック

)」に入る。外から店内をのぞいていると、「どうぞ~」と店長兼コック兼ホール係のお姉さんが後ろから迎えてくれた。

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店内がものすごく素敵!木々をふんだんに使ったナチュラルテイストの室内に、裸電球が温かい雰囲気を作り出しておりほっこりする。何時間でもここで本を読んでいたくなる。この葉っぱはシナモンだそうです。

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ちょっとした野菜やクッキー、本なども売られている。席からは、窓の外に小さな川と緑が見えて心地よい。夜になると蛍が見えるそう。それに鳥みたいな鳴き声の変わったカエルがいて和む。

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本棚を見ていると、おもしろそうな本を発見。あとでAmazonで注文しよう。

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あぁこういうのを見ると、またインドへ行きたいと思ってしまう。私と全く同じインドの場所へ行った人と、一度話をしてみたいものです。

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私は野菜定食を、旦那は麺を頼んだ。野菜定食は玄米の体に優しい系のご飯。食後にチャイを持ってきてもらい、お姉さんと少し話をする。「無料雑誌で見たんですが、インドにおられたんですか?インドのどちらですか?」このお姉さんはインドのゲストハウスを昔手伝われていたことがあるそうで、そこで毎日チャイを作っていたそう。だからチャイがおいしい。「デリーです。二カ月半くらいいました。バラナシで沐浴したこともあります。目と耳と鼻をふさいでもぐって」ひえー!!!すごい。私は絶対そんなことできません。お姫様旅行専門なんで・・・。しかも初の海外がインドだったらしい。「インドって人に呼ばれでもしないと行けないっていうから、呼ばれたし行こっかなって」世の中には色んな人がいるもんです。

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旦那が質問する。「富士山って、静岡の人にとってはどんな存在なんですか?」「私はすごく好きで、三回登りました」「さ、三回?!」大きな地震が来た時に、富士山に近い所に住んでいると危ないかもしれないと思ってはいても、それでもいいから近くに住んでいたいのだそう。何人かの静岡県民と話をしたけれど、みなさんの地元愛がすごい。大学の東京へ行っても、みな地元に帰ってくるのだとか。すばらしい。

ちなみに毎週第一日曜日は近くの森で外で本を読む読書会があるそうです。(森の読書室 Liferary - ホーム | Facebook)ここのチャイの器に使われている焼き物の工房(https://www.facebook.com/oyamanodoguten/)も近くにあるようで(しかし今は忙しくて、作ってくれないとのこと)、ぜひ行ってみたい。私は焼き物がとても好きです。不揃いな形はあじがあるし、温かさが感じられます。

一時間くらいでこんな素敵な森に来られるなんて、二ホンハスバラシイ!またチャイを飲みに来ますね。

本帰国一カ月Anniversaryは45階の展望回廊で

シンガポールからの本帰国一カ月目の記念に、高い所へ行って広い景色を上から眺めながら物を考えることにした。シンガポールでは、たまにOutram ParkのHDBの50階にあるスカイブリッジへ行った。あの頃は日本の自然が恋しくなったくせに、今はシンガポールで目にしていた高層ビルが少し恋しくなるのがなんだか不思議。

この辺で一番近い高い場所は、浜松駅直結のAct city(展望回廊 | 館内施設 | 【公式】オークラアクトシティホテル浜松)というホテルの45階にある展望回廊のよう。入場料は大人500円で、今日は朝10時~18時まで空いている。あいにく土日はやっていない。

ただシンガポールのスカイブリッジのように屋上ではなかった。ガラス張りの景色を見るだけで、風を感じることができない。そしてかかっているクラシックがやかましい。

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なんだかビルや車がおもちゃのように小さく見えて、なぜかホッとする。

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どうやら天気がいいと、この奥の方に富士山が覗くらしい。ちなみに今日は雨が降っていた。また天気のいい日に出直したい。

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イスに座って、この一カ月を振り返る。国をまたいでの引っ越しによる環境の変化が激し過ぎて、体調を崩したこと。新しい土地に移り住んで、シンガポールに引っ越した時と同じく『また誰も頼る人がいなくなった・・・』と寂しくなったこと。私の周りにはもうTeoさんもシンガポール女子も、あの心療内科の先生もいない。シンガポールで一年以上日本語を教えていた中華系アメリカ人の生徒さんが、最後のレッスンの終わりに私に言った「とても悲しいです」の意味を、この時やっと理解したような気がした。

一方日本の全てが目新しくて、普通に生活しているだけで楽しかった。またここには誰も知っている人がおらずちょっと関西に比べてペースがゆっくりしている分、周りを気にせずに自然に囲まれてのんびり静養することができた。接骨院、漢方、おいしい食べ物などのおかげか、今日は電車に一時間以上乗ってここまで来ることもできたことを考えると、私が月初に書いた三つの目標のうちの一つ「5月末までに普通の日常生活が送れるようになる」は達成できたと言える。(一カ月前は何かをするとすぐに眩暈を起こし、夜は風呂に入るエネルギーも残らなかったのだから)その他にも、人と会って酒を飲み交わし何時間も楽しくお話しすることもでき、中国人女子とは言語交換を再開し、週一回オンラインでレッスンを受けられる中国語の新しい先生も見つけた。そろそろゆっくり動き出す時がきたように思う。

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シンガポールを出る時、頂いた中で印象深かったアドバイスが二つある。一つは「自分が楽しいと思うことをする方がいいですね。例えば物事をネガティブな動機(経済的に自立しないといけないから!という理由で仕事をする等)でやると、うまくいっているうちはいいですが、うまくいかなくなった時に転びやすいんですよ」というもの。もう一つは「シンガポールに来てから、色んな国の旅も含めて外の世界をたくさん見たから、次は自分の内側を知る旅をするといいんじゃないかな。自分がこれから何をしたいのか、積極的に知ることも重要だよね」だった。『自分の内側を知る旅か・・・』

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確かにシンガポールにいた間に色んな国で色んなことを知ったけれど、自分自身のことをよく知らないかもしれない。現に日本に帰ってから人と話して、自分について気づかされることがいくつかあった。例えば接骨院のお兄さんに三か月一人旅をしたと話したら「三か月?!」と驚かれたことや、ヨガのお姉さんに「インドは行きたいけれど怖くて行けません。それに一人旅をできるのが羨ましい」と言われたこと。まぁ、三か月の一人旅は特別だったとして、インドが怖い?なぜ一人旅をできないんだろう?などなど。自分が普通にしていたことが他の人にとっては普通ではなく、またある意味特殊な世界観を自分が持っていたことを少し知った。

さて自分の内側を知ろうと思ったら、やはりこのように人と話さなければならない。ということは単に観光地を回るだけではなく、今回は何か面白そうなことをしている人に会いに行く旅をするか。その前にその旅の最後に何を見つけたいのかを明確にする必要があるので、とりあえずシンプルにこの五つにすることにした。(⑤はざっくりしすぎているけど、まぁいいか・・・)

①するのが楽しくて

②それをすることが他の人の役に立ち

③他の人よりも少しうまくできて

④誰かが私にお金を払ってでも、その対価を受けたいと思うものは何か

⑤これからの人生に望むもの

本帰国後から半年くらいは静養すると決めたので、時間は十分にある。そして大きな声では言えないけれど、私には旅の軍資金が失業保険という形で手に入った。仏のような旦那は「好きなようにしなさい」と温かく見守ってくれている。神様にまるで「ほら、自由をやるから好きなことをやってみろ」と言われているかのよう。そして多分何かをしてうまくいかない場合は「ブー。違う。やり直し」と神様に言われているのだと思う。例えば三か月一人旅をした後に、なかなか会社勤めの内定が出なかったように。あれは「ブー。違う。もう一回」となって、日本語を教えることとライターは「正解!それをやりなさい」となったのだと思う。

今回もまた、自分の色々なことに気付くための時間を与えてもらったと思って、大切に使わせてもらうことにしよう。今思えば、普通手に入らないような機会を今までもたくさん与えられてきた気がする。英語ができもしないのに、なぜか英語を使う仕事に就くことができた。英語が上達するよう社費でアメリカ支店で働かせてもらった。そしてそこで旦那に出会ったおかげでシンガポールに住み、色んな国を旅し、色んな国の人と交流することができた。さらに中国語にも出会った。

与えられた機会の意味を自分なりに理解して、少しづつまた自分の世界を広げていきます。

日本食はおいしいけれど

明日で日本へ本帰国してはや一カ月になるが、相変わらず日本の食べ物はおいしい。

こちら、清水港のマグロ館というところで食べた海鮮丼。ここには色々な海鮮の店が並んでおり、バスで日本人の団体旅行客が来ていたり、ちらほら中国人やその他アジア人の旅行客も見かけた。魚介を食べてもあたらないって、すばらしい。

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(このようにたくさんの店が連なる)

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こちら、コーンの部分がラングドシャの珍しいソフトクリーム。難点なのは割と早い段階でソフトクリームがラングドシャに染み渡り、色んな所からソフトクリームが流れ出て大変だったこと。次からはやっぱりコーンにしようっと。

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(お腹を壊してアイスを食べられない旦那に激写される)

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こちら、キルフェボン(http://www.quil-fait-bon.com/shop/?tsp=5)というケーキ屋のフルーツタルト。『日本酒の利き酒師になろうかな~』と思いGoogleに「き」をタイプしたら、「キルフェボン」が先に出てきたので行ってみた。ちなみにここも接骨院のお兄さん(別名:静岡アドバイザー)のお勧めの店で、彼曰く「ケーキは人を救う」らしい。一口食べてあまりにおいしすぎて『あはははー!!』と笑い出しそうになったが、一人だったし変な人と思われるので平静を装った。確かにケーキは人を救う。ところで日本製のケーキもシンガポールでは殺人的な高さだったので、特別な時しか食べなかった物の一つだった。

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(すごくたくさんのタルトがあります。もっとあります)

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(南フランスにありそうな、こじゃれたカフェ風)

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確かに何を食べてもおいしいのだけれど、そろそろネパール料理とかバクテーとかいつもシンガポールで食べていた物も食べたくなってきた・・・。Little IndiaにあるEverest Kitchenのカレーや、Tiong Bahru Marketのホーカーのホーファン、近所だった因縁のバクテーが食べたい!ホーファンは難しそうなので、まずはネパール料理あたりから探してみるか・・・。

日本の着物文化を残すにはどうすればいいかを考える

シンガポールから日本へ帰ったらしたかったこと「浴衣を着て夏祭りに行く」をするため、浴衣を買いに行くことにした。ちょっと自分ではどれが似合っているのかイマイチ分からないので、アドバイザー兼支払い係のために旦那を連れて行く。

まずは色んな浴衣を試す。こちら、少々モダンなデザイン。

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(うーん。思ったより似合わなかった)

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こちら少々クールな感じのデザイン。

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こちら白地に赤い金魚というシンプルなデザイン。「それがいいよ」と旦那が言うので、「これにします」と即決した。早割で半額セールをやっており、浴衣だけだと7,500円くらいで下駄と帯も入れて約二万弱だった。(肌着や巾着などは実家にあったはず)

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浴衣で客を取り込んで着物をプロモーションしているようで、着物をなぜか着せてもらう。キャンペーン中で本部から来たというお姉さんが、電卓片手にうにゃうにゃ何かの前置きをして中々値段を言わない。日本に帰ってきて度々思うのだけれど、英語みたいに結論を始めに言ってくれ!「すみません、私は海外に住んでたのでちょっとダイレクトです。で、結局なんぼなんです?」「いくらいくら値引いて、これくらいになります」軽自動車が一台買えるくらい。着物は高いですよね~と言うと、権限がもっとある責任者が出てこられる。京都の方らしく関西弁で親近感が沸く。ただそれでも出された値段がインドに一カ月弱滞在できるくらいはする。「まずは浴衣を着れるようになりますね~」「このキャンペーン今月までなんですよ」「じゃあ、次に着物を着る機会がある時にまた値引いてください」「え?ガハハハッ!」横で同じように着物を勧められて、断れずにうにうにしている親子を横目に、我々は「どうも~」と言ってさっさと店を出る。

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『私も着物を着たいし、消えゆくかもしれない日本の伝統文化を残したいという想いは店と同じなのにな・・・』と残念に思う。そしてどうすれば着物をみなもっと気軽に着て、着物の文化を廃れさせずに済むのかを考えてみる。(多分女子は結構着物とか浴衣を着て歩きたいんじゃないかなと思う)

①値段を下げて、敷居を低くする。

私はセレブや貴族じゃないので、軽自動車やインドに一カ月滞在できるくらいの値段がする時点で、購入は検討の範囲に入らない。いい布を使い日本人の職人さんが手で作っておられるだろうから、自然に高くなるのは理解できる。でも高すぎて触れる機会がないのであれば、”着物をたくさんの人に着てほしい。伝統文化を残したい。”という真の意図には沿わない。もっと大胆に何かを変えられないのか?例えば職人が外国人を教育して、外国人が作ることで人件費を抑える。ブータンもラオスもミャンマーも、どの国の伝統衣装もだいたいは作りが繊細で美しかった。全員ができるとは思わないが、日本の伝統衣装を作ることができる人材もいるのではないか。それに生地も高級で美しいものだけではなく、もっとリーズナブルでデザインがおしゃれなものを作ればいいのではないか。江戸時代に全員が高級で美しい着物を着ていたわけではないはず。

そして気軽にレンタルできるサービスをもっと増やせばいいと思う。一着を高い値段で買うよりも、色んな着物を手軽に着てみたい。私だったら一回8,000円くらいで着つけてもらえるのなら、喜んでそのサービスを使う。毎月一回くらい着物を着て、着物が似合う風情のある場所に行けたら嬉しいので、ちょっと値引いてもらって5,000円×5回のチケット制などがあるとなおよい。そうして垣根を低くして、もしもっと高級な着物が着たければ追加でお金を払ってレンタルできる。さらに自分のが欲しければ買う。のように選択肢がたくさんあればいいと思う。

②着る機会をみんなで作る

着物を着る機会があまりないので、みんなで考えてたくさん作ってみたい。私だったら着物を着て歌舞伎を見に行ったり京都の町を歩いたりと、着物が一風景として似合う場所へ出かけたい。デートはたまに着物でしてみたい。(豪快に飲み食いできなくなりますが・・・)色んな人が着物を着て色んな場所へ行き「どこそこいったよ!」とか呟いてSNSで拡散すればいいと思う。そうすれば着物の美しさにも気づきやすいし、どこで着れば楽しいのかも分かって着る機会が増える。人と同じことをするのが安心という日本人の性質も手伝って、着物を気軽に楽しむ人が増えるのではないか。

③訪日外国人にも着てもらう

私がブータンへ行った時、ツアーパッケージに伝統衣装のレンタルが含まれていた。既に旅行会社が衣装を選んでくれていて、着たければホテルやどこかで着せてもらい美しいお寺の前で記念写真を撮った。こういうサービスはいいなぁと思う。でも個人的にはまず日本人が『着物っていいなぁ』と自国の文化を今一度、大切に思うことが先なのかなと思う。

伝統をそのままの形で残していくことも大切だけれど、時代に応じて形を変えてもいいと私は思う。今残っている伝統が、全て昔と全く同じな訳ではないはず。日本人が作っていなくても、全く同じものができるんなら外国人が作っていてもいいじゃないか。(それが難しいんだろうけど)生地の質が多少低くなるか別の種類になったとしても、着物そのものをたくさんの人が楽しめるんならそれもいいんじゃないか。値段が高くて身近じゃない物を作り続けて消えていくか、形を変えたとしても今後も受け継がれていくか。他の人はどう考えるのかな。

ゆるやかに流れていく日本のとある金曜日

今日も私の日本の生活は、気ままにゆるやかに流れていく。

まず中国語のオンラインレッスンの無料体験から始まる。先生は中国で日本人相手に旅行ガイドをしていた、西安出身のなぜかお名前がTomokoさん。日本語が達者。「早上好(おはようございます)」「早上好~」「〇×△□☆※,〇×△□☆※」「???(早くて分からん)你再说一遍,好吗?我的听力不太好(もう一回言ってもらえますか。私のリスニングはひどいですので・・・)」この先生が初めに言ったのは「初めまして。どうぞよろしく」だった。私はそんな初歩的なフレーズも知らなかったとは・・・。今に知ったことではないが今日改めて思ったのは、ある程度の文法と単語を知っているはずなのに、私の中国語は実質的に役に立たんということだった。如何せん話す練習をしていなかったために文章を組み立てるのに時間がかかったり、英語と日本語の語順とこんがらがって混乱する。英語を本気で勉強した時もそうだったが、ここからはプライベートレッスンできちんと文法を習いそれを会話の中で使う訓練をして、その表現を使って言語交換パートナーの中国人女子と話すということをしていくことにした。Tomoko先生は教え慣れており、しかも淡々と教えるところも気に入ったのでこの先生からしばらく習うことを即決し、毎回同じ先生から習う定期受講コース(50分/回で約1,500円)を申し込んだ。ただ彼女は発音をシンガポールで習っていた中国語の先生ほど熱心に正してくれないので、月一回くらいはシンガポールの中国語の先生とSkypeでちょっと世間話でもして直してもらうことにしよう。

(テキストがまた”お会いできてうれしいです”からになった・・・)

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引き続いてオンラインで英会話を受ける。フィリピンに住んでいるイギリス人のJimさんとは一回25分×週二回話しているのだけれど、私の場合、一週間日本語だけを話すと英語の音を出すのがちょっと難しくなる。(日本語の音は英語や中国語に比べてペタッとしており、音を出すのに口や舌をあまり動かさないので、多分口が固まるのだと思う)二週間全く英語を話さないと、残念なことに流暢さが低下する。なのでJimさんと話すことで、自分の流暢さが落ちていないかを定期的にチェックしている。

さすがに中国語→英語と連続で話すと疲れて、昼寝をする。そしてむくっと起きて、本屋へ行く。日本語の本をこれだけ惜しみなく見ることができるのも、日本に帰ってきて嬉しいことの一つだった。シンガポールの紀伊国屋にも日本語の本はあったが、種類が限られていた上に値段がまたやくざなので(本は約二倍で売られていた!)、スッと買えなかった。日本の本屋では目的もなくブラブラと本を見て、気に入ったものを買うということが気軽にできてよい。

そして上島珈琲のテラス席でコーヒーを飲みながら、本を読む。この大富豪からの手紙に書いてある色んな事に強く同意する。それはまさに私がシンガポール生活やそれ以前の人生で実際に自分で体験してきたことそのものだった。例えば①偶然に偶然が重なっておもしろいことが起こることや、②決断することが今と未来の回路を作ること、③理性や論理よりも直感が必要な時があること、④行動しないと何も始まらんということなど。特に①はシンガポールで人との出会いによってたくさんもたらされた。北京出身のJoyceと仲良くなり、なぜか仕事の通訳を頼まれて爆発し、その足で手相占い師のTeoさんのところに駆け込み、その後Teoさんと懇意になった。またJoyceが住んでいたエリアが気に入ってそこに引っ越しし、最後の一年は大変充実した。さらにあるインド人に出会って日本語教師の職を紹介してもらい、シンガポール政府系のローカル校で教鞭をとった。日本語を教えていた中華系の生徒の影響で中国語を勉強し出し、NY在住の中国人女子と言語交換をする運びになった等。f:id:Nisshi:20180525202551j:plain

この大富豪からの手紙には、そういった人生の重要なエッセンスがストーリーと共に書かれていた。『この作者はどうやってこういう法則に気付いたのだろう』私が夕陽に照らされながらもくもくと本を読んでいる間に、テラス席は3人の男性が来てはタバコを吸ったりボーっとして去って行った。そしてふと、シンガポールで生活することになった自分宛てに送ったアドバイスを思い出す。『時間を埋めるようにして何かをしなくてもいい。のんびりどこかのカフェで本を読んだり、家でボーっとしたり近所の猫と遊んでいるだけで心が平和になるならそれでいい。』はいはい、あなたのアドバイスをきちんと守っていますよ。

nisshi.hatenadiary.com

シンガポールから日本に戻ってきて、約四週間が経とうとしている。こうして今週もゆっくりと私の日本の生活は終わっていった。

受給期間を延長していた失業保険のゆくえ

約三年前に10年働いた会社を退職し、失業保険をもらう暇もなくシンガポールへ引っ越したのだけれど、当時の私はきちんと失業保険の受給期間の延長というのをしていたようで、日本に戻って来た今その失業保険を受け取ることができる。確かあの時会社の最終出社が月曜日で、その週の土曜日には日本を出てシンガポールへ移った。よくあのドタバタの中で色々とちゃんと手続したなぁと思う。昔の自分を褒めてあげたい。

(興味をそそられて、吸い込まれるように店内に入る)

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こんなこと言うとあれなんですが、この失業保険を受け取る手続きがまためんどくさい。へんぴな所にある大きめのハローワークへ行かねばならなかったし、ちまちました書類を書かねばならなかった。そういう手続きにここ数年遠ざかっていたので、書類の意味が分からなかったり、書き損じたり、抜けていたり・・・。しかもここで職など紹介してもらう気なんて始めからなかったので、適当に書いて受け答えしていたらおじさんに怒られた(笑)いい歳して常識のない日本人で申し訳ございませんでした。役所や銀行や携帯電話を作る時も思ったけれど、日本のこの紙の書類の多さは一体何なのだろう・・・。なぜテクノロジー大国なのに、いつまでの電子化せずに紙に原始的に書いているのだろう。

(カウンターとテーブル席がある)

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失業保険をもらうまでに結構な工数がかかる。まず失業保険の仕組みや必要な書類の書き方などの説明会が別の日に4時間もある。何をそんなに説明することがあるのか。書類の書き方なんてWebか何かに載せて頂けませんか。その翌週にまた何かの説明会がある。それが終わると28日周期でハローワークへ行き、28日間の間に最低二回は就職活動をしていることを報告しなければならない。この就職活動というのはハローワークにある端末で求人をチェックし、所定の書類にゴム印を押してもらうと就職活動をしたとみなされるとのこと。(自分で自宅でネットで求人を検索するだけでは就職活動とはみなされない)

(お菓子付きお茶セット500円。お茶は三種類から選べ、あとで湯がくるので三杯飲めます)

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ちなみに私の場合は最長で約4カ月間失業保険が給付されるらしいので、半年くらいは休養して失業保険でしばらく遊んで暮らすことにした。シンガポールにいる間、日本に帰国したら体験したり行ってみたいと思ったところがいくつかある。茶道、着物を着て歌舞伎を見に行く、浴衣を着て夏祭りに行く、伝統工芸品を見て周る、日本酒の酒蔵巡り、茶摘み、古民家と宿坊に泊まる、郷土料理をたくさん食べる、富士山に登る、北海道の桃岩荘へ行く等。特に福島へいかねばならないと思った。シンガポールで何人かのシンガポール人や外国人に福島でとれた野菜は害がないのかを聞かれたり、またあそこで取れた野菜は危ないから日系スーパーで買わない方がいいなどと言われた時に、言い返すだけの情報を持ち合わせておらず悔しい思いをした。それにいち日本人として恥ずかしくもあった。テレビや新聞の情報が必ずしも正しいとは限らないので、福島の今を実際に自分の目で見てそのような質問に対して自分の言葉で説明できるようになりたい。

(この急須は網が急須の内側にペタッとくっついており、急須と一体化している)

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シンガポールへ引っ越した時は十分な休養を取らずに焦って会社勤めを始めて、結局爆発して半年後に辞めた。そしてシンガポール周辺国を三か月旅し、一カ月に一回はシンガポールへ戻ってくるということをした。今回は始めから半年は休養することを除けば、自分がシンガポールへ行った時とほぼ同じことをすることになる。あぁ、やはり旅は私の人生には欠かせない重要な要素なのだ。もうすこし休んだら、旅先リストと各種予算と旅程案を作るか。

外国人と言語交換を続けるコツ

シンガポールからの引っ越しに伴い、一時期中断していた中国語の勉強を再開する。文法を習得したり定期的に話す機会を作るため、まずは新しい先生を探すことにした。ただ今後日本のどこにいるのかよく分からないので、英会話同様に中国語もまたオンラインで授業を受けるべく、こちらのオンラインレッスンサービスの無料レッスンを申し込んだ。シンガポールを出てから三週間全然中国語を話さなかったので、ちょっと勉強しておかないと・・・。

BitEx中国語学習ポータルサイト。中国語辞書、教材、検定資格、中国語会話、eラーニング、オンラインスクールなど多数のサ

そしてNY在住の中国人女子との言語交換も再開する。実は先週末に時間があれば話しませんか?とSkypeでメッセージを送っていたが、音沙汰がなく『あぁ、なんか引っ越しのどたばたで途切れたなぁ』と残念に思っていた。でもまぁよく私の訳の分からない中国語に去年の12月中旬から付き合ってくれたなぁ、ありがと。とも思っていたら、今朝「ごめん、最後のテスト昨日終わったのよ。もういつでも話せるわよ。長いこと話してなかったから、たくさん話すことあるわね。ははは!私は超フリーになったわ。日本語勉強するわ」と連絡があった。・・・もっと早く連絡しろ。まぁいいや。引き続き私の訳の分からない中国語の話し相手になってもらえるようで、ありがたいです。それに日本語を教えるスキルも使わないと損なわれていきますので、維持できて助かります。彼女は賢いので日本語の習得も早いだろう。必ずうまく話せるように教えてみせますよ。

(コロンス島からみた厦門。まるでシンガポールのようだった)f:id:Nisshi:20180522220134j:plain

ところで言語交換を長く続かせるこつは、ゆるく適当にやることだと思う。あんまりかっちりやると、お互い疲れて長続きしないと思う。例えば我々は毎週NY時間の土曜日の22時に話すと決めて、それを習慣にした。ただお互い善意で言語を教え合うだけなので、都合が悪ければ事前に連絡をしてスキップすればいいし、彼女は15分くらい普通に遅刻してくるが私は特に何も言わない。(海外では15分以内の遅れは遅刻と見なさないようで)あとたまに忘れられたり、メッセージを送ったのに返信が一週間後とかいうこともあるが気にしない。というか外国人と付き合っているうちに、そういったことに慣れてしまった・・・。昔は他人のミスにとても厳しかったが、シンガポールに住んでから自分もミスをすることはあるので、ある程度他の人のミスに寛大になった方がいいと思うようになった。

さてこの三月に受けたHSK3級には合格したし、次の目標設定がいる。せっかく北京語を勉強していることだし、北京に行くか。そして現地の人がどんな風な生活を送っているのか、どこかのおうちにホームステイみたいなことをさせてもらって見てみたい。新聞やニュースなどによると、中国は日本よりも日常生活の中でIT化が進み無人店舗なども増えているという。(店員の接客よりも機械の方が不愉快な思いをしないらしい)確かに去年中国へ行った時、店の会計はみな携帯で店のバーコードを読んで支払っていた。現金で払っているのをあまり見なかった。個人的には田舎が好きだが、中国の都会が今どんな感じになっているのか見るのも面白いはずだ。あとできれば南にも滞在してみたい。北と南では文化がかなり違うというから。

(杭州も都会でした。日本と変わらないと感じた)

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去年9月末に杭州と厦門へ中国茶の旅に出た一年後あたりにまた中国へ行って、現地の人と日常会話ができるのを目標にしますか。